令和7年11月の入選句(兼題:「小春」、「湯豆腐」)

<特選> 3句
湯豆腐やことば少なに老夫婦
深谷美智子
殊更に話すことが無くても心が通いあっている老夫婦を思います。静かに湯豆腐の味を楽しんでいることでしょう。

小春日やキリン長首持て余す 野村親信
キリンの首はそれなりの役目を持っているものだと思いますが、どんな時に持て余すのでしょうか。わからないのですが、何だか「小春日」の効果で、そうかも知れないと思ってしまいました

保母さんにキャリーの子らに小春かな
山崎圭子
未だ歩くのが覚束ない園児をキャリーに乗せてお散歩風景です。穏やかな小春日和が嬉しいです。

<その他の入選> 15句
湯豆腐に酌めるは地酒夜の雨
北川和子
<夜雨かな湯豆腐に汲む荒走り>
荒走りは新酒のことになり、湯豆腐と季語が重なるので地酒としました。また「汲む」は「酌む」の方がお酒にふさわしいです。

自転車のペダル軽やか小春空
小森葆子
<チャリンコのペダル軽やか小春空>
チャリンコと俗語で言わなくても自転車でよいと思います。俗語が生きることもありますがこの句の場合は品位的にも普通の言い方の方が望ましく思います。

湯豆腐を好む齢になりにけり
小森葆子
このたびはこの句と全く同じ作品が二つありました。共に実感が出ていると二つとも入選とします。

霧雨の天を仰げば鐘の音 小坂弘行
<霧雨や 梵鐘の音 天仰ぐ>
原句はぶつ切れですので、情景が伝わりにくいです。霧雨の天を仰いでいたら遠くから寺の鐘が聞えてきたことにします。

湯豆腐の底の昆布のひと揺れす
宮田望月
湯豆腐の底に敷いた昆布がひと揺れするのに気を付けているのは、昆布を取り出す頃合いを見ているのかも知れませんね。

地に還る落葉の静か原生林 太田眞澄
<地に還る落葉静やか原生林>
開発の手の入っていない原生林の様子です。地に還るのを静かに待っている原生林の落葉です。

鑿さゆる生きざま写す能面師
太田眞澄
<能面師の写す生き様月さゆる>
木の塊からお能の面を彫りあげてゆく技です。ここで「月さゆる」と夜の光景をもって来るより彫る鑿を詠んだ方が感動が伝わりそうです。

賑ひのとげぬき地蔵小六月
鈴木寛
小春日和の11月を小六月ともいいます。巣鴨のとげぬき地蔵尊のある商店街も小春日和に誘われ賑わっていることでしょう。

ゆつたりと下る小春の屋形船 新井康夫
<屋形舟ゆったり下る小春かな>
川の流れにまかせて下っているのでしょうが、小春日和の屋形船は何だか普段よりのんびりと見そうです。

男料理白菜切るも大振りに
市川毅
<白菜よ男料理に迷いなく>
「迷いなく」が具体的にどういうことか伝わりにくいです。それで白菜も豪快に切っていることにします。

陶器市境内に立つ小春かな 深谷美智子
<小春日や境内に立つ陶器市>
寺などの境内の広さを利用しての陶器市でしょう。小春日和の陶器市ならちょっと覗いてみたくなりそうです。

街小春ぬひぐるみめく犬連れて
深谷美智子
縫い包みみたいな可愛らしい小型犬を自慢げに連れ歩く都会人を思いました。街小春から平和な雰囲気が伝わります。

湯豆腐を好む齢となりにけり
深谷美智子
同じ作品がありましたが二つともいただきました。老いの実感が伝わります。

湯豆腐のことりと揺らぐ頃合を
山崎圭子
湯豆腐のたべごろでしょうか。ことりと音はしないと思いますが僅かに揺らぐのをこのように表現されたのでしょう。

一訃報庭の小菊を切りにけり 中島彩
<訃報愛くそっと束ねし庭の菊>
どなたかの訃報が届き、悼み心に庭の小菊を切って壺にさしたのでしょう。


以上
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