令和7年9月の入選句(兼題:「夜長」、「花野」)

<特選> 3句
茶柱の立てり夜長の一服に
太田眞澄
<茶柱の立つも夜長の膝小僧>
暑い夏も終わり夜長を楽しむ季節が秋です。本を読んだり趣味を楽しんでいるのでしょう。その折に入れた一服に茶柱が立った事を喜んでいます。夜長をちょっと変わった切り口で詠んでいますが膝小僧がよくわかりませんので省きます。

野外ミサ花野をなせるこの丘に 山崎圭子
<野外ミサの丘へと続く花野かな>
野外ミサの丘がそのまま花野をなしている景色にしました。字余りも解消されます。

それぞれの昭和を語る夜長かな
野村親信
旅にあり同宿のもの同士の夜長の場面でしょうか。激動の昭和を生きた人には皆それぞれの歴史があることでしょう。

<その他の入選> 19句
鐘楼を吹き抜く風や破蓮
太田眞澄
<梵鐘をかすめ敗蓮風のまま>
寺の鐘楼脇に蓮池があり、今はもう枯れてしまい破蓮になっていることでしょう。鐘楼を吹き抜ける風が破蓮をこそつかせている事でしょう。

長き夜新刊本を繙けり
深谷美智子
<長き夜の新刊本の栞紐>
手に入れた新刊本をこの夜長に読もうとわくわくして、栞紐に手を掛けているのでしょう。栞紐に焦点を合わせるよりも読もうとしていることを句にされた方が伝わりそうです。

索引にルーペかざせる夜長かな
深谷美智子
<索引にルーペをかざす夜長かな>
索引は一段と字が細かいのでルーペのお世話になること納得です。夜長の調べものでしょうか。

点々と転がるは溶岩(ラバ)大花野 山崎圭子
<点々と溶岩ころがせる花野かな>
溶岩がところどころ転がっている花野と思います。溶岩がいろいろな形に見え花野が楽しいです。

一隅に養蜂箱や大花野
山崎圭子
<木大花野養蜂箱に遠からず>
「遠からず」とするよりも養蜂箱があるとする方が花野のよろしさが伝わりそうです。

奈良太郎しみじみ旅の夜長かな 山崎圭子
<奈良太郎聴くより旅の夜長かな>
東大寺の大鐘の別名を奈良太郎と言います。原句のままでもよいと思います。こんな
風にも詠めそうです。

寝付けないままに夜長を楽しめり
宮田望月
<寝付けないいや眠らない楽し夜長>
原句は少し調べがよくないように思います。句意が違ったかも知れませんが添削し、調べを整えました。参考にしてください。

朗読のチャンネル夜長楽しめり
宮田望月
<荷風漱石朗読チャンネル夜長かな>
荷風と漱石に限るのでなく、夜長を朗読の番組で楽しまれているのではと思います。

オペラ果て心昂ぶる夜長かな 小森葆子
<オペラ果て昂る心夜長し>
言いたいことは伝わりそうですが、少し語順を変えますとより伝わりやすくなりそうです。

指差して名を挙げ行ける花野かな
新井康夫
指差して名を挙げながら花野行く>
自分の知っている花が見つかるのは嬉しいものです。花野を行く楽しさが伝わります。

色褪せたアルバム開く夜長かな 新井康夫
<色褪せたアルバム開く長き夜>
夜長のつれづれに開く古いアルバムです。いろいろな思い出が噴出してきて時間を忘れそうです。

百舌鳴くや動き止めたる籠の鳥
市川毅
小動物を餌にする猛禽の鵙です。鳴き声がしただけで籠の鳥は声をひそめてしまうのでしょう。

コーヒーを淹れて夜長のスマホかな
北川和子
<コーヒーをたてて夜長のスマホかな>
よほどのコーヒー好きですね。お気に入りのコーヒーを自分で淹れて、スマホで何をしているのでしょうか。スマホをよほど使いこなされた方を思いました。

一齧り香りの高き青りんご
北川和子
<噛みしめるほどに香りぬ青りんご>
未だ青い香りの高い林檎の印象を「一齧り」で強めてみては如何でしょう。

またも湯を浴びもす夜長山の宿 鈴木寛
<又浴むる山宿の湯の夜長し>
わざわざ山宿としたのは、娯楽がなく夜長の時間を持て余し、またも湯をあびているのですね。「山の宿」を最後にしてみました。

目の前を霧の走れる花野かな
鈴木六花
<目の前は雲の乱舞や花野立つ>
「雲の乱舞」が分かりにくいです。霧が次から次へ流れる様子なら分かります。霧も季語ですが主季語は花野とわかりそうです。

母の声聞こえてきさうこの花野 中島彩
<母の声聞こゆる気して花野かな>
花野とご自分の母との共通の思い出があったのでしょうか。花野に居てふと母の声が聞こえて来そうに思われたのでしょう。

久闊の友に筆とる夜長かな
中島彩
<久闊の友に一筆夜長かな>
原句のままでも句意は十分伝たわりますが、中7から下5にかけてぎこちないので「一筆」を「筆とる」にしてみました。

長航の日付変更する夜長
野村親信
長い航海の途中のことでしょう。時間もゆったり流れている夜長を思います。そんな中でも日付変更線を通過する折にはきちんと日付を変更するというのです。


以上
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