2018年9月の入選句
(兼題:「行く秋」、「天の川」、「茸:松茸」)

<特選> 3句
空の果て地の果てまでも鱗雲
中島彩
鱗雲が空を覆い尽くしている光景をこのように詠みました。空の果ては即ち地の果てでもあるのです。大きな景が詠めています。

茶屋主きのこ博士と呼ばれをり
小森葆子
山の茶屋の主を思います。きのこ博士と言われるくらいですから茸のことを良く知っていて食べられる茸かどうかなども皆が聞きに来るのでしょう。何々もどきと言って食べられそうでも毒がある茸がありますので怖いです。

行く秋や灯(ひとも)し頃のビルの街
深谷美智子
<行く秋や灯し頃をビルの街>
都会の秋を詠んでいて惹かれました。特にビルの窓に灯がともるころの街に行く秋の気配を感じている作者です。季節の変化はどこにいても感じることができるのです。

<その他の入選> 14句
銀漢や停電の街ほの照らす
宮田望月
普段ならやっと薄々見えるくらいの街の銀漢も停電の真っ暗闇ならばこの句のように街をほのかに照らすように見えるのではと思います。


まづは嗅ぐさすが松茸ご飯かな
本多悠天
<まず嗅ぎて松茸ご飯至福かな>
松茸ご飯と聞いただけでも羨ましく思います。かおり松茸というだけにさぞ食欲をそそる匂いだったことでしょう。至福は言わずもがなです。

墨東に篠笛ひびき観月会
宮崎勉
何処の観月会かは不明ですが、墨東とあることから向島の百花園での観月会かも知れません。そこでの篠笛の音が墨田川岸に響いて来ているのではと思われます。墨東という隅田川の中流東岸の雅称に趣を感じさせます。

李白の詩吟じ古城の秋惜しむ
宮崎勉
李白の詩を吟じつつ古城に行く秋を惜しんでいる場面です。どんな詩か良く分かりませんが古城の秋を惜しむのにふさわしい格調の高い詩が思われます。

腰掛けよとばかり盤をなす茸
山崎圭子
<腰掛けよとばかり円盤なす茸>
猿茸(ましらだけ)のことだと思います。別名猿の腰掛とも言われ、古木の幹などに如何にも腰掛けよとばかり盤状に生えています。中七に整えました。

耳元に不意に蚊の音寝入りばな
市川毅
<秋の蚊の不意に現る寝入りばな>
蚊の羽音がしますと刺されるのではないかと気になって眠れません。寝入りばなの蚊はとくに厄介です。秋蚊でなくても通りますので秋を省きました。

逝く秋やこれからのこと今日のこと
鈴木康允
普通だったら今日のことをまずは思いやるのですがそれが逆であるのが面白いです。逝く秋を惜しみつつこれからのことを思いやっていたのですが、ふと現実に返った作者です。差し当たって今日如何に過ごすかを思いやったのでしょう。

ゴルフボール探せどもまた白茸
鈴木寛
ゴルフ場でコースを反れたゴルフボールを探しているのです。ボールを発見とばかり近づいてみたら白い茸だったのです。「また白茸」とありますのでところどころに生えていることが分かります。

かりそめがやがて定着秋気配
杉原洋馬
暑かった日々にふと秋の気配を感じさせる日があります。かりそめの秋の気配ですのですぐまた暑い日に戻るというそんな繰り返しをしつつ、いつしか秋が定着していくのです。

ただならぬ赤さの茸名を知らず
深谷美智子
<ただならぬ赤さの茸道に生ふ>
尋常でない赤さの茸は毒に違いありません。それが「道に生ふ」という下五は一句に特に効果を上げているとは思えません。それよりも何という茸か知らないことを詠むのはどうでしょう。

切株に見慣れぬ茸出てをりぬ 鈴の木正紘
<切株の木目あやしき茸生ゆ>
切株に自分の見たことのない茸が出ていたのだと思います。「木目あやしき」ですと感動が木目にあることになります。あやしきは茸のことと思いますので「見慣れぬ茸」にしました。

行く秋や独り居の友訪ねたり
鈴木六花
ふと独り居の友達を思い出し訪ねて見たくなったのです。去り行く秋の季節はなんとなくさみしく人恋しくもなる季節でもあります。

熊除けの鈴犬につけ茸狩
野村親信
山深く分け入る茸狩りです。熊と鉢合わせしては困ります。よく動き回る犬に熊除け鈴をつけておきますと鈴が良く鳴り熊の方が音を聞きつけて避けてくれるのです。

テント出て親子で仰ぐ天の川
大田武
アウトドア派の父が息子を誘っての野営を思います。天の川を見つつどんな話が交わされたのでしょうか。親子の良い関係が見えてくるようです。



以上

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