イスラエルの旅(エルサレム)
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イスラエル化学会創立75周年記念年会がテルアビブで開催されました
日本化学会からの代表団の一員として参加してきましたが、イスラエル行きは初めての経験です 先方の計らいで日曜にエルサレムに行きましたので
そのとき撮影した写真をご覧下さい
(実は日曜の午前1時頃にホテル到着 4時間寝てホテル出発7時20分
という ちょっときついスケジュールでした)
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テルアビブからエルサレムまでは70キロくらい
途中の岡の風景です
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こちらのアパートは中はプラスターボード 外は石灰岩のブロックだそうです
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エルサレムの住宅街 丘だらけ という感じでした
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旧市街はこのような壁に囲まれていて入口が7つ(8つ?)有るそうです
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外壁と別の門です
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まずオリーブの丘に行きました 昔はオリーブの木だらけだったそうです
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手前はユダヤ人墓地です 金色のドームがある辺が神殿の丘です
メシアが復活するまで死者はお墓で待機するそうで、すぐに歩いていけるように
神殿の丘の方に足を向けて埋葬するそうです
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谷にあたるところがゲッセマネと言われているところです
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ここから予言者ムハンマドが昇天したと言い伝えられているそうです
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神殿の丘の東側の壁が見えます
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これはイスラエルの国旗ですね ダビデの星ですが
ガイドさんによれば昔はただの装飾で意味は無かったようで
宗教上の重要さはこの100年くらいのものだそうです
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お墓を掘っているようですね ま 昼間ですから それほど...
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ガイドさんが持っている図は昔の神殿の丘の復元図です
水色の建物が神殿で ローマ帝国によって徹底的に破壊されたそうです
この図はローマ時代の歴史家によって記されたものを元にしているということで
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お祈りを捧げているようです 首を前後に振っていました
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オリーブの木です
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ゲッセマネの庭園入口です ここには入りませんでした
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ダビデ王の遺跡をまだ発掘しているようです
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名前は忘れましたがこの門から旧市街に入っていきます
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こちらに来て初めて知ったのですがヘブライ語もアラビア語と同じく
右から左に書くそうです
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昼食用のパンみたいなものですね
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神殿の丘の南壁と西壁(嘆きの壁)が見えます
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この右端100メートルくらいが現存します 左側はアラブ人が
建物を造ってしまって隠れています
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右は女 左は男と書いてあるのですがトイレに入るのではありません
以前は男と女の入口が別れていたようです
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礼拝者の邪魔をしないように との注意書きです
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イスラエルでは高校を卒業すると3年の兵役が待っているそうです
その後大学に行きたい者は行くそうですが 若者の信仰心とか歴史観を
確実にするために入隊数ヶ月以内にはここ(聖地)を訪れさせるそうです
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これが有名な嘆きの壁です 皆真面目に祈っています
願い事を書いた紙を岩の隙間に入れる人も居るそうです
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嘆きの壁に向かって左側です この上はアラブ人が住んでいます
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兵士は皆自動小銃を持っていますが弾倉は持ってはいますが装着されてないので
少々ホッとします
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神を恐れていることを示すために頭の上をカバーします
これは入口に置いてある紙製の形だけのものです
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隙間に紙が一杯詰まっているのが見えるでしょう
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左は男 右は女が祈るところです やはり男は女が傍に居ると
神様に真剣に祈れなくなるようです
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上と下とでは作った時代が違うのでしょうかね?
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さて これからキリストが十字架を背負って歩いたといわれる場所に行きます
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ここですね 悲しみの道というらしいです
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キリストがここに手をついたとかつかないとか?
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ベロニカという娘?がキリストの汗と血にまみれた顔を拭いてあげたところ
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この教会はドイツの皇帝?が19世紀くらいに築いたそうです
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これは聖墳墓教会というのだそうです ギリシャ正教系?
この右側の方がキリストが処刑された丘 左側が遺体を封印した
洞窟があったところだそうです
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この下で処刑されたそうです
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丘の一部?
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ここでキリストが磔の刑を受け 弟子たちが降ろして
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石の上にキリストを横たえて油を塗ったそうです
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で 動物たちに食べられないように横の洞穴に安置します
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これがキリストが横たえられた岩だと言われているそうですが
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ここの中にキリストが復活したという墓があるそうです
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長蛇の列ですので中には入りませんでした
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ちょいと掘れば遺跡だらけのようです
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昔の街の一部でしょうか
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ツアーの参加者 この夫婦は世界中を旅したそうです
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左がガイドさん お世話になりました
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オリーブの丘の方が見えます
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金で出来た燭台のレプリカです
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ここからはムハンマドが昇天したということでイスラム教徒でないと
この中には入れません
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Holocaust Museumから見たエルサレム
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この中は撮影禁止でした
いやー しかしユダヤ人排斥運動というのはすごかったですね
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Holocaust Museumの入口付近
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イスラエルの旅(テルアビブ・ヤッホ)
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最終日の午後は30年以上前にハーバード大学で同じ研究室に居た
Mario Bachiさん(元Weizmann Institute of Science教授)と奥さんに
テルアビブと隣接するJaffa(ヤッホと発音??)を案内してもらいました
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テルアビブのホテルから見た地中海の海 手前は回教の寺院(モスク)
海に近いところはイルカが芸をするようなパークだったそうですが
9年前に自爆事件があり相当数の死者負傷者があったそうで 今は閉鎖中
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テルアビブの風景
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テルアビブの歴史は高々100年ですが その南のヤッホ(Jaffa)は
4000年近くの歴史があるそうです
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Jaffaから見たテルアビブ
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海岸沿いのモスク ここから一日5回お祈りの合図が出るそうです
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Mario Bachi, TF, 奥さん(Tamar)
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ローマ時代?の遺跡です ま この辺りも掘れば何か出てくるのでしょうね
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カトリックの寺院です モスクと混在しています
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港に降りて行く道です
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左はオスマントルコ時代の港(防波堤?)
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この岩みたいなのはアラブ人の作った相当古い港の跡らしいです
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キリスト教会
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いや 参りました 海が荒れているなー と覗いたところ
大波がドボッと来て頭からずぶ濡れになりました ハンカチで
何とか頭だけは拭きましたが 高いコートとカメラも濡れて....
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ペットボトルの集積所です
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テルアビブ市庁舎
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テルアビブ市庁舎 この右端の階段を降りた所で....
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イッツアク・ラビン首相が1995年に兇弾に倒れました
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この辺りでテルアビブの街が始まったようです
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