建築家 冥利(終の棲家編5)

では、あなたの“終の棲家”はどんな家がいい?

家相や寝室のアンケート調査で「一戸建てを建てるとしたら……」と、家の構造の好みをきいてみました。すると、回答者がさほど多くない調査の母数で、しかも若い人が比較的多いことにも関わらず、グラフのように木造が72%と圧倒的に多いことに驚かされました。そしてS造(注1)すなわち鉄骨造が14%、さらにRC造(注2)いわゆる鉄筋コンクリート造が9%と少ないのです。

(注1)S造=Steel frame (スティール・フレーム)で鉄骨造。
(注2)RC造=Reinforced Concrete(レインフォースド・コンクリート)で鉄筋コンクリート造。鉄筋で補強されたコンクリートです。ちなみに鉄筋はReinforcing steel barです。ついでに高層マンションなどよく使われるSRC造は、この鉄骨Sを骨にさらに鉄筋コンクリートRCで固める構造と言うことです。

 やはりここでも木の住まいの願望が強いことがはっきりしました。木造すなわち和の志向の家とは一概には言えないまでも、それがまた寝室の和の空間の志向ともなるのかも知れません。確かにこのほのかな木造の願望は実際の家を建てるにあたって、いよいよ骨組みが上がる際にはっきりします。いわゆる上棟(じょうとう)です。まだ骨だけの木造の軸組みを見て、多くの建て主が本当に涙するほどに感動なさるのです。まさしく建築の醍醐味とわが家を支える柱や太い梁を現実に目の当たりになさるからでしょう。そんなご主人を横から見て、奥さんもまためったに見せない夫の感動の姿に大いに感激なさるといいます。

 心の奥底では床柱や違い棚などの床の間のある座敷にあこがれ、仕上げ材はビニール製やプラスティックではなく、多少板目がそろわなくとも、あるいはフシだらけでも本物の板張りや土の壁など自然素材を求めているのです。

 すでに60年以上も経ってもはや戦後とは言えませんが、あの焼け跡の過酷な復興と経済の高度成長に没頭し、われを、わが家を忘れていた私たちが今やっと住むべき本来の家とはなにか、を考える時代となったのです。私のコラムのタイトルもそうで、恐縮ですが、人から“いい家”はこうだああだと押し付けられるものでもなく、それぞれがその好みや生き方に合った家や、家族に合った間取りを求める時機となったのです。

 焼け跡に生まれ、焼け跡で育った多くの人たちが、世界をそして時代を駆け抜け、働き詰めに働き続けて、今、定年を向かえようとしています。すでに子どもたちは成長し出て行って夫婦2人だけの家となっています。そして夫婦でいたわり合う老いの生活に至ろうとしています。この間にどちらかがけがをしたり、病に陥りでもしたら大変です。そのときはじめて今まで気が付かなかった住まいの不備が見えてくるのです。

 その不備こそ“いい家”どころか地震にも危うく、健康にも良くない家でさらに大人の感性にもそぐわない家なのかもしれません。モダンデザインで機能的で設備も良くはなっていますが、その感性は、あるいはその持ちはどうでしょう。これから老いて行く夫婦2人の生活はどうなのでしょう。

 最近よく「終の棲家」だ「終の住まい」と言われます。「終」とはまさしく人生最後の家を言うのでしょうが、私の解釈はちょっと違います。確かにいずれは「終の棲家」になるのでしょうが、それに至るまでの、ながーい生活をいかにキープできる家かと言うことが大切です。

 そうです。老後は一つではないのです。最初は元気でかっ達な「老前」があって、いずれちょっと不自由になってはじめて「老中」があり、そしていよいよ自立できなくなってはじめて「老後」と言うべきなのです。

 ならばいかに「老前」を長くするかと言うことですが、このことを考えた時点ですでに「老前」は始まっているのです。そこで一念発起、定年を控えて思い切って、今の住まいを建て替えてみてはどうでしょう。そう、あえてこれからの人生を住んで行く家をつくるのです。それも今の家を生半可にリフォームするよりも、今までの家や子どもたちのことを頭からすっかり払拭して、費用負担をしたくなければ半分の土地を処分して予算をゼロにしたり、少し頑張って人に貸したりすることなどが可能です。その反対に、今までマンション住まいの人は下町にでも小さな土地を探して地に生えた家を建ててみるのです。

 いまさらこの歳でなどとお思いでしょうが……どっこいこれが楽しく、また活力が沸き、若返るのです。まさしく大人になってはじめて建築の醍醐味を味わうのです。若い頃頭の中で描いた「終の棲家」は海が見える所だったり、別荘地だったりと、よく聞きますが、本当の老いの生活に必要なのはそんな空想の自然よりも「人」です。人との交流や人が来やすいところが楽しく、しかも病院やスーパーや駅が近いところが現実的で安心です。

多くの「終の棲家」のお手伝いしてきた私自身が最近そう思うようになってきました。すでに私も「老前」となっていました。

建築家 冥利(終の棲家編4)

終の棲家”へのリフォーム

長い人生をいったいどこで、どう住むか。今月は“終の棲家”について集中してお話してきました。“終の棲家”は何も新築のみならずリフォームでも可能です。また“終”といっても何も老いに備えるだけではなく、60歳、いや70歳を過ぎてもまだまだ先の楽しいリフォームをしてみたいものです。

 よく定年後の悠々自適の生活に庭の手入れなどがあげられるのですが、まず意識的に定年という概念、あるいは区切りを付けないことで、生涯現役を実行することです。しかし現実は退職金が支払われ、さらに年金の受給などが目の前にちらつき、嫌でもこの人生の区切りは、華々しく象徴されてしまいます。

 確かに年金は長年にわたって積み立てて来た老後の糧であることには違いがないのですが、いざ“老齢”年金の受給となるとたちまち老いを感じさせられ、人生が終わったようにガクッとくるような感じがするともいいます。

 年金制度は現実の老いの生活サポートと、老いの意識高揚を含め、さらに醸成されるべきなのです。単に支給年齢を平均して上げると言うのも拙速と言えるのです。

とまあ、せっかく自分でためたものならありがたく受け取り、あえて“老齢”の意識を捨て、さらに“現役”を続けるのです。何も職場は会社だけではないのです。子どもたちを送り出し、広く余ったスペースをガラクタ置き場(失礼)にしないでさっさと片付け、リビングを小さな店舗や事務所、あるいは塾やアトリエにしたり、庭をつぶして貸し駐車場にしたりしてもいいのです。

子どもたちのスペースは、地方や海外からの学生のホームステイ(いわゆる昔の下宿)の場や、夫婦それぞれの在宅職場にするなど、とにかく家を“生涯就労の場”とするのです。これはお金に困らない人でもとにかく働く。働いて、働いて若さを保つ。それがまた長寿を闊達(かったつ)に生きることでもあるのです。高い授業料の時代、下宿屋の復活などは学生にも親たちにも喜ばれ、駐車場も隣近所の人にマイ車庫として重宝され、多少の収入があるばかりか、なによりも寂しくないのです。しかも、急病などいざと言うときも心強いのです。

 千葉県のSさんも70歳を超して自分で建てた木造の家を耐震補強をかねて2階と小屋裏を改造増築し、そこを都内マンションに住む子どもたちの週末住宅スペースとしました。子どもたちに言わせればまさに木造の“別荘”で、毎週末、親と過ごせて安心ともいいます。

 私ごとですが、子どもたちの二つの部屋をぶち抜き、室内湿度を安定させる調湿・消臭効果の珪藻土(けいそうど)パネル(エコナフィール)の引き戸で仕切りました。それぞれに新たなクロゼットを設け、広く一体としても使え、分けてホームステイもできるようにリフォームしたのです。まさしくこの空間は今後どのようにも使えるユニバーサルスペースとなったのです。実際にこの春、短期間ながらロータリークラブの国際親善交換学生を預かり、わが家に子どもが1人増えたような幸福な感じがしたものでした。

建築家 冥利(終の棲家編3)

息子の隣におやじの家を建てる

77歳のYさんは奥さんに先立たれ、長年一人暮らしを続けて来られていたのです。男所帯ながら炊事や洗濯などは自分でこなし、「まだまだ」と言うものの、遠く離れて住む子や孫たちは気が気ではなかったようです。

 高齢化が進む閑静な住宅地の一戸建てに住む息子さん家族の周りも、これも高齢化のお陰か、最近あちこちに歯抜けのように空き地ができ、幸いにも隣接地の空き地に用地を確保することができたのです。

 「はからずも地続きの用地ができまして……」で始まった家づくりは、拙著『二世帯「同居」住宅のつくり方』(講談社+α新書)をお読みいただいた息子さんからの依頼でした。「親父と住もう」という、息子さん側からの要望が強そうな感じと取れたのです。実際その通りで、最初は息子さんご夫妻とだけお会いし、いろいろと事情をお聞きし、その上でご一緒にお会いしてみると、なるほど矍鑠(かくしゃく)とされたお父さんはとてもお若く、まだまだ同居は早いというご様子だったのです。

用地は現在の住まいの路地奥となる、ちょうど離れのような住まいが可能で、まさに東西に長く続いた同居増築案がイメージされたのです。お父さんにはそれにはやはり抵抗があるようで、「いや、やはり同居はまだ早いのでは……」とあまり気乗りしない様子なのです。そこで、

 「いやいや同居住宅ではなく独立した家で、しかもお父さんが独自に建てる『親父の家』です。たまたま息子の家が隣にあったと言うのはどうでしょう」

 と、私の提案に、お父さんは「???」と首を傾げながらも、「炊事も洗濯もすべて独立した家」なら、という条件で、76歳の時に家づくりが始まったのです。考えてみれば同居とどこが違うのと言った隣接「近居」案で、今思えばリフォーム詐欺ならぬ新築詐欺(?)まがいの提案だったのです。とにもかくにも設計者である私が言い出しっぺとなり、この家づくりが良いも悪いもすべてが私の責任と言うことでことが始まったのです。

 約束どおり完全に独立した家で、玄関も息子さんの家の前を通って入るわが家専用で、玄関ホールの続きが“両家”を結ぶ“土間空間”(床がタイルのサンルーム)となっていて、互いの付かず離れずの干渉空間となっているのです。その上はまさしく両家の共通バルコニーとなっていて奥さん念願の物干し場となっているのです。もちろんそこは、お父さんの物干し場でもあるのです。

 1階と2階で付かず離れずの2棟建ての家は、お父さんのまさしく自立の生活をあえて意識したもので、1階には客間付きの吹き抜けのリビングダイニングあり、キッチンはお父さん専用で息子さんの奥さんは立ち入り禁止。洗濯しかり、掃除もしかりなのです。さらに2階はベッド中心の書斎兼居間ともなっており、勾配のある寄棟(よせむね)天井の光景がおやすみになったときのお楽しみと言われました。

 トイレは這(は)ってでもいける“水洗おまる”式。階段は踊り場を二つ取ってゆっくりとし、両側手すりで腕の力を借りてでも上り下りするものとする。お父さんはご自身のリハビリのためと言うのですが……、今、まさしく足を骨折したお孫さんがこの階段の恩恵を受けているのです。

 「おい、手狭な君たちの家で、必要なスペースが欲しかったらなにか造ってやるぞ」

で、まずは玄関収納、2階にクロゼット、さらに“一番かさ張る”次男の部屋。それらが加わって『親父の家』は出来上がったのです。予定通り気ままに生活してもらいながら、一方で息子家族がみんなでそっと看視(?)できる家となったのです。

 息子さんは「イヤー、実は妻から『お父さんが心配でしょう。お誘いしてご一緒に住みましょう』と言われたときはハッとわれに返り、なぜかうれしかった」と話してくれました。自分の中で潜在的に一人暮らしの父親を案ずる気持ちを見抜かれていたことと、現実に自分から改めて父親を呼んで一緒に暮らそうなどといったイメージを持てなかったとおっしゃるのです。

 どうも親子とは皆さんそんなもののようで、夫婦互いが親のことを案じながらも互いを気遣い、なかなか同居や近居のイメージを持たないでいらっしゃるのです。幸いにも親たちが元気で、しかも忙しい子夫婦の状況を思いやり、彼らが「いやいや1人で大丈夫。心配しないで」とか、「煩わしいから1人の方がいい」とまで言ってくれるから、早々に同居などしないでいられ、親たちも改めて一人暮らしを覚悟し、闊達(かったつ)に生きていこうとできるのかも知れません。 しかし、いったん足腰を痛めたり、具合でも悪くなったりすると生活が不自由になり、それを気遣う家族のことを考えると、そうそうわがままも言っておられなくなるのです。誰にでもいずれくるそのときに備え、今元気なうちにお互いがその準備を決断する潮時も大切です。

建築家 冥利(終の棲家編2)

80歳過ぎて家を建てる?!
私はなぜか70歳を過ぎた高齢の人の家を建てることが多いのです。えっ、それは“終の家”? と思われそうなのですが……、ところがどっこい、ご本人たちは、はなから“終の棲家”などとは思ってもいないし、第一“高齢”と言われることにとても不快感を覚える人たちばかりなのです。いわゆる「団塊」と呼ばれるだいぶ前の世代のたくましい人たちの家づくりです。

 ここで今、ちょうど25年前、すなわち1981年に堺屋太一氏と対談をしたときのことを思い出し、その資料を引っ張り出してみました。対談は、雑誌の「ニューハウス」で3カ月にわたって掲載されました。タイトルは「中年からの設計?老後の暮らしはこれからどうなる!」でした。氏はすでに現代の戦後ベビーブーマーの問題と、それによる超高齢化時代を予測し、いろいろな現象を示唆されているのです。それにしても2人とも若く、髪がふさふさ黒々! としていましたね。

 その後、氏に「団塊の世代」と“命名”された当時35、6歳ほどであった人々が、今、定年退職を迎えようとしています。そして、さまざまな問題が現実化しようとしているのです。その皆さまに、あえて70歳以上で家を建てた彼らからの情熱とメッセージをお届けしたいと思うのです。

「“終の棲家”。冗談じゃない。そのときはまた天野さんに設計を頼みますよ」。今から14年ほど前、当時80歳だった兵庫県西宮市の堀江光男氏はそう言われました。「私の住み家ではなく、私が集めて来たオルゴールたちの家ですよ」。「えっ、あの宝石箱の?」で始まった家づくりは、あらゆることが不思議で、すべてが刺激的な家づくりとなったのです。私自身もそれまで70歳を超えた人の家を何軒か設計してきた経緯もあり、ある程度のことには慣れていたものの、オルゴールと一緒に住みたいと言う80歳の老人とは……。
 で、そのオルゴールがまたすごいのです。“エリーゼのために”でおなじみの手のひらサイズのオルゴールと思いきや、なんと一つがピアノどころかタンスよりも大きく、素晴らしい音色で、まさに自動演奏装置と言うべきもので、100年前の生演奏を実際に聴くことができるのです。驚くべきはその数がまた半端ではないのです。

 1900年のパリ万国博にも出展された逸品のディスクタイプのステラや、ロシアのラストエンペラー、ロマノフ・ニコライ2世への誕生祝いのシリンダータイプのオルゴールなどもあり、博物館としても相当の格付けのものとなるのです。しかし、名前こそ「堀江オルゴール館」なるものの、建物は“家”で、まさに氏は今そのオルゴールたちに囲まれて一緒に住んでおられるのです。すでに13年が過ぎ、途中で阪神・淡路地震にも耐え、氏はすでに90歳をゆうに越されているのです。当時、怒鳴り合いながら設計や監理をしたことが今は懐かしく思えるほどなのです。もしご興味がおありでしたらぜひ訪れてみてください。

建築家 冥利(終の棲家編1)

あなたはどこに住む“終の棲家”
長い人生をいったいどこでどう住むか、あるいは人知れずひっそりと棲(す)むのか。子どもたちを育て、送り出し、定年退職をし、悠々自適の夫婦2人だけの生活に戻る。このことでさえも戸惑いやっと慣れてきた頃。今度は夫婦のどちらかの具合が悪くなったりすると、この先行きをどう生きるか不安になる。
普段忙しくて考えることがないのですが、私自身もちょっとそんな不安に陥ることがあるのです。そう“終の棲家”です。実はこれはどうも住まいを設計する私の稼業から来ることかもしれないのですが……、私はずいぶん早くからこの“終の棲家”について考えさせられるようになっているのです。
なるほど人生は短いのですが、その短い人生の最後の長い老後の生活の送り方がどうも難しいのです。元気な頃は子どもに頼らず、誰の世話にもならず最後の最後は老人施設に入所すればいい、などと息巻いていたのですが……、実際老夫婦2人だけの暮らしはよほど元気で闊達(かったつ)であればいいのですが、そうはなかなかうまくいかないようで、どちらかの一時的な故障でも互いが相当ショックを受けることになるのです。これが一方を失ったりするとまさしく途方にくれ、特に夫の方は相当意気消沈するのを目の前で何度も見てきたからです。
その点すでに早くに連れあいを失っている人の生き方は確かに頼もしいほど強く、身辺のこともしっかりと固め、まさに人生を達観していると言うか、意識も相当しっかりされているのです。
なぜか私はそんな高齢の人の家づくりをお手伝いすることが多く、あるとき「1人で最後まで生きられる家をつくってくれ」と言われたこともあるのです。なるほど、とどのつまりは用足しに人の手を借りることなく、できれば風呂も自力で入りたい、と言うのです。それまで何度か入退院を繰り返され、「ハイ、おじいちゃんもっとおまたを広げてください」などと“やさしく”されたことにとても屈辱感を感じたと言う……、私自身そこまでの経験こそないのですが、ある程度自力でなにかできる間は強気でいても、確かに一度足腰を痛めたときはわれながら驚くほど気力を失ったことを覚えているのです。


そこでその期待に応えるべく、1人で這(は)ってでも行けるトイレを考え、風呂も段差どころか洗い場に敷いたスノコの上でごろごろと転げながら自分で身体を洗えるようにしたり、果ては天井に自在走行クレーンを設け、そこから操り人形のように身体を支えて自在に動くことができたりする「ダンスもできる空間ロボット」なるホームナーシングユニットまで考案し、ビッグサイトでのリフォーム&リニュアル展では実際に走行させるまでしたのです。

見えないロボットでサポートをするまでもなく、技術的な形の見えないやさしい空間こそ“終の棲家”と言えるのかも知れません。考えてみればすべて畳の間のわが国の家こそ這ってでも暮らせる家だったのかも知れません。かつて親日家のドイツの建築家ブルーノ・タウトはじめ欧米の建築家たちは、わが国のその住居を普遍的空間すなわちユニバーサルスペースとして賛辞したのです。
住まいは元気なうちにいくら快適であっても高齢になって弱ったら、住めないのでは意味がありません。元気なうちにこの“終の棲家”にもっと関心を持たれると今の住まいがどれほど住まいやすく快適になるか分かりません。
建築家 冥利(住まい編10)

同居(2)
親が1階に住むと・・・???
「二階の音を消して!何でこんな鬼婆に?!」

天野 彰 (高14回)

前回「親が2階に住むといい」とお話をしました。何故そこまでした方がいいのか?と言った質問をいただきました。そこで私どもの設計事例を交えて詳しくお話します。

女優の音羽信子さんそっくりの優しい笑顔のお母さんと言った感じの建て主から久しぶりに電話をいただきました。円満な?二世帯住宅を建てられた親子夫婦のお母さんのはずなのですが、ちょっと声が荒々しく急いでいらっしゃる様子なので早々にお邪魔したのですが。なんと久しぶりにお会いしてその形相の変わりように驚いたのです。

確か2年ほど前に持病悪化のため御主人を亡くされてはいるものの同居のために寂しくもなく、その御主人も親子で住める家にしたために大変喜んで安心して他界されたとのお手紙もいただいていたのですが・・・、この変わり様はいったいどうしたことか?しかも上に住む息子夫婦には内緒で来てくれと言う。

「天野さん。この音を聞いて頂だい!」

なるほどお孫さんがとんとんと歩き回っている音がする。しかしこれは上に子夫婦家族がいると言うことでかえって賑やかくて良いとまで言っていたことで、しかも当時は鉄筋コンクリートのマンションでも社宅暮らしの経験から上の音が響くことはご存知のはずだとおっしゃっていたが?と言うと。なんと意外な答えが返ってきたのです。

「イヤ、あれはワザとやっているのです。以前はあんなじゃなかった。夫が亡くなってからわざと嫌がらせでやっているのです!」と言う。

確かに上で誰かが歩いている気配は感じるのだがわざとどすどすと歩いている感じはしない。しかもテレビは切られ、窓は閉められ私に息を殺して聞けと言うのです。

そこで、こっそり子夫婦に聞いたらやっぱり異常に上を意識をして困っているとのこと、極力静かにして奥さんもノイローゼ気味と言う。で、木造の二世帯住宅の防音工事をすることになったのです、が・・・

一階の天井を剥がし、振動が伝わらない様にグラスウールの断熱材を押し込むように充填し、さらに12ミリ厚のプラスターボードを二重に張り上げ母さんの居室となる天井はことごとく防音工事をしたのです。予算は100万円。

ところがなんと!防音の費用は支払わないと言うのです!また耳を澄ますと、聞こえると言う。さすがに私もこれには、

「一体何があったのですか?なにがいやなのか言ってください!あの優しい笑顔の奥さんはどこに行ったのですか?」

と声を荒立ててしまったのです。すると・・・、

「私もいやなんです。何でこんな"鬼婆"のようになってしまったのか自分でもいやなんです。」

と、聞けばお孫さんの入学のことで意見の相違があり、それ以来孫を近づけない様にしていると言う。そればかりか朝のごみ出しで表であっても嫁が挨拶もしないと言う険悪な関係だと言うのです。さっそく二階の息子さん夫婦に聞いてみたらそれにはびっくりで、すべて誤解だと言う。音はすれども姿が見えないことが返って寂しく、まさに疑心暗鬼になっていたのです。

このことがきっかけでお互いが話し合い、母親の疎外感をなくすために今までの親の寝室に子夫婦が移り、2階に母親の居住部分をつくる、つまり1,2階を交替することになったのです。母親もこれには大賛成で結果、2階で静かに暮らし、時々下りてきて孫たちと接しているのです。子夫婦も下を気にすることもなくなり自由に暮らせ、犬も飼えるようになり、お嫁さんも子どもたちも大喜びでした。

不思議なことに数ヶ月もしない間にお母さんももとの優しい顔に戻ったのです。

「夫が元気なうちは何でも当たっていたのが我慢できなくなったんですね。今は静かに寝られ、庭の手入れの心配もなくなりました。いよいよ2階に上がれなくなったら、そのときに1階の座敷に降りますよ」とお母さん。


次回は「家相信じますか?」です。
建築家 冥利(住まい編9)

同居!(1)
二世帯住宅 親が1階がいい? ホント?

天野 彰 (高14回)

住まいの設計で難しいのは、まず犬も食わない メ夫婦の問題 モです。そして親子、そう同居の問題で、次にあの得体の知れない家相の三つであると言い切ってもいいでしょう。そのため住宅の設計に携わるものはこの3点でなんらかの失敗をすることが多い.のです。

住まいをもっとクリエイティブで自由なものと考え、若い夫婦の夢の家をつくって行く・・・こんな楽しいことはないのですが、ところがどっこい親御さんから得体の知れない家相のルール?に従えとか、長年連れ添った奥さんから「別々の部屋で寝ましょ」などと言われたり、さらには同居住宅ともなると思わぬ厄介な障害が出てきて、夢の空間や楽しいわが家に到底ならないのです。

こうした複雑な条件の中で、長年住まいの設計をやっていますと一つのルールのようなものが見えてくるのです。まず家族の中心は夫婦です。その夫婦は夫と妻です。この原点を忘れずに生活行動をプランにすればよいのです。

そうです、意外なことですが、夫は妻の、妻は夫のことを考えようとしないで、自分のことだけを考えていればいいのです。これは同居住宅などになると歴然とします。同居は二組の夫婦が居るのですからさらにややこしいのですが、それぞれに夫と妻で4人居ると解釈すると、いろいろなことが解けてくるのです。

ここでは子ども、つまり孫のことは余り考えず。この4人がどうしたいか、また今後どうなっていくかを考えるのです。実際多くの二世帯住宅を設計してきて、今感じるのは比較的若い親夫婦が年寄りだからと当たり前のように1階に住み、2階の子夫婦への意識ばかりしていることを考えると、その設計はすべて間違いではなかったかと思うのです。

2階は上階の音も気にせず静かで、風も通り、ベランダを広めにすればそこそこの植木も楽しめ、下の子夫婦のことなどまったく気にせず生活できるのです。まさにリハビリテーションのつもりで二階までの上り下りを頑張るのです。いずれ足腰が不自由になってきたら、その時点で一階の子どもたちの寝室と交替すればよいのです。その頃孫たちはすでに成長して出て行っているかもしれませんね。

上に住んでいた若夫婦も子どもたちのうるさい足音を下の階に気にすることなくおおらかに住めるのです。第一1階には庭があって犬でも飼えるかもしれませんね。こうして発想を変えてみると意外に親たちが気楽に日当たりのいい2階に住むのが当たり前かも知れません。

次回は同居(2)「親が1階に住むと・・・」です。

建築家 冥利(住まい編8)

老人の介護!
老人の世話が若い人のつとめ?


天野 彰 (高14回)

先日ある老人福祉と介護に関するセミナーで、福祉行政側?の医療福祉のコンサルタントが、
「これからは就職難で、若い人はみな老人介護を職業とすれば就職も労働力の心配は無い。しかも彼らは安く使える!」
などと発言していたのです。これには驚きました!若い人が生産的な仕事をするなかで、ボランティア活動などでこうしたサービスをすることは良いとして、就職難で仕方がないからと言った事情で介護サービスに転職するなど、本来の福祉の理念にも、国家的にも良いことなのか?といささか抵抗を感じられずにはいられなかったのです。当然のことに会場からも老人福祉を真に憂い活躍されている若い人たちからも大変なブーイングがありました。

もちろん老人医療そして老人福祉は今後の要介護人口増をかんがみて最重要事項ですが、確かに老人のサービスをすることだけが前向きで生産的なことではないことはどなたも承知しているはずです。また肝心の老人にしても若いエネルギーを自分の介護のために消耗させてしまうことに耐えないと思う人も多いはずです。加えて行政はすでにこうした施設サービスを限界と見て、在宅介護を推進しているのです。すなわち在宅=住まいでの介護となるのです。

こうした現実を見て、長寿命のわが老後を介護に頼らないようにするのにはどうしたらよいか?また不幸にもそうなったとき、いったいどんな構造の家にしておいたらよいか?今元気なうちに真剣に考えなければなりません。
そう、それこそ ”健康で安全に” さらに ”元気が出る” 家づくりです。危険な段差のないバリアフリーも大切ですが、もっとたくましく生きるためにリハビリテーションのできる家を考えるのです。

老後の一戸建ての場合、寝室だけはできるだけ2階にするようにし、二世帯同居の家では老人はできる限り2階に住む!いよいよ上がれなくなったら1階の子供たちと替わる!ように薦めています。そしてそのときは1階寝室の最短に浴室一体のトイレを設け、最後まで自立するための設備や装置を用意するのです。もちろん家の構造は前回にお話ししましたように災害に負けないような強靱なものにし、内装は身体によい自然素材をふんだんに使うのです。

次回は 同居二世帯住宅 親が1階がいい?です。
建築家 冥利(住まい編7)

もっと人生を楽しもう! 地方の実家に家を建てる

天野 彰 (高14回)

突然ですが、都市と地方とでは給料が違います。大企業や人材が集中している都会の方が当然給与が高くなります。勿論、その分いや、それ以上に家賃を始め、すべての生活費が高くなります。首都圏に住む私たちは本当に損をしているのです。

しかし果たしてこの先もこのような状態が続くのでしょうか? 空洞化する都市で、いや終身雇用で繁栄した大企業さえ空洞化し、今や何万人もあっさりリストラしてしまう時代に、割のいい職を見つけ、今までのような暮らしができるのでしょうか?

ちょっと先の読める人ならこの全体の流れを見ればよく分かるはずで、割り高な都市を捨て、原点に立ち戻ってわずかの“農耕”や“釣り”などで暮らしを守っていく ・ ・ ・そんな静的な暮らしを求める人が多くなっていくのではないでしょうか。

こうした現象の一つに父母のすむ実家に戻って家を建てる人が多くなっているのです。いわゆる今まで地方都市がキャンペーンしたUターンではなく、これからはこうしたUターン現象はごく自然の当然の姿になって行くのです。

あるいは地方に実家がない人も、都市の土地付きの一戸建てを処分し、地方の都市で広めの土地を買い、自らの楽しみの家を建てる人も増えているのです。

私の建て主の平田さんもその一人で、那須に(と言っても高原の別荘地ではなく)土地を買い求め、木造平屋の“終の住まい”を建て、しかも今までの趣味を生かして“亜細亜民芸工芸館”なるミニ博物館として、訪れる来館者と毎日歓談し楽しんでおられるのです。

「今でも週に1、2度は東京に出かけて後輩の指導にあたったり、ついでに病院に寄ったりしています。」と、新幹線の回数券(定期券?)を見せてくれるのです。とても70歳近くには見えません! 喝采!

〔亜細亜民芸工芸館〕
住所:栃木県那須郡那須町高久甲5797
Tel:0287−62−6134
アトリエ・フォア・エイ:http://www.a4a.co.jp/
を訪ねて、「Works」、「住まい(悠悠自適)」の最上段右側の
「House of Hirata」(郊外に住む木の家)をクリックしてください。

次回は「老人の介護!老人の世話が若い人のつとめ?」です。
建築家 冥利(住まい編6)

家具が人を殺し、そして救う?!

天野 彰 (高14回)

新年明けましておめでとうございます。本年も引き続き『住まい』についてお話ししてまいりたいと思います。お付き合いのほどよろしくお願いします。

阪神淡路大地震のあの悲惨な都市の震災から、あっという間に10年が過ぎ去ってしまいました。その教訓として、今の皆さんの家に何かを対処されているでしょうか? 南関東やわれらが故郷東海の地震は、その規模は桁違いで、しかもその確率は、明日来てもおかしくないほどなのです。
さて今回は、その阪神淡路大地震で被害を大きくしたとされる室内の転倒した家具と反対に住む人の命を救った?と言うお話をしましょう。

さて一戸建てはもとより、住みにくい間取りのマンションや賃貸アパートでも造り付けの収納家具で新たな快適な間取りが可能です。いわゆる間仕切り収納です。私の事務所は賃貸ですがこうした家具を組み立て、新しい間仕切りをつくっています。
そこで心配なのは地震ですが、床から天井までキッチリはめ込んだ収納家具にしてあるのです。家具が転ぶためにはどちらか一辺が持ち上がらなければなりません。天井までの家具は天井が持ち上がらない限り転ばないのです。そのため壁や天井に釘を打ち付ける必要も無く、明け渡して出るときは傷一つ付かないのです。

実は、この壁いっぱいの収納家具、地震で転ぶどころか、木造なら地震の際の補強となったり、なんとコンクリートのマンションでさえも人を救ってくれることもあるのです。実際に阪神・淡路地震ではこの家具が、大げさに言えば、そこに住む人の生死を大きく分けた!のです。
そのひとつが、あの金具やつっぱりで留められたタンス類ですが、あっさり倒れ、不幸にもそれらの家具の下敷きとなったり、足を食われ逃げられず迫る猛火で焼死した人も多いのです。
その反対に、鉄筋のマンションやビルの柱が挫屈して一層分がなくなってしまうほどの破壊にもかかわらず、なんと!両壁の造り付けの家具が、グズグズと押しつぶされながらもわずかな支えとなり、ぎりぎりの隙間をつくってくれて、助かった人もいるのです。

さあ、明日大地震が来るかもしれません! くれぐれもタンスや冷蔵庫の脇では寝ないようにしましょう。

次回は「もっと人生を楽しもう!−地方の実家に家を建てる」です。

建築家 冥利(住まい編5)

もっと住まいを楽しもう!
   絵一枚で家が変わる?!

天野 彰 (高14回)

私たちはもっと暮らしを楽しまなくてはいけないのではないでしょうか?
私は20年ほど前「狭楽しく住む」と言う本を出しました。「狭い」の反対は「広い」です。では[狭苦しい]の反対は?[だだっ広い]?いや極端ですね。私たちの住む家は狭いことには変わりはないのです。同じ狭くても、苦しいか楽しいかなのです。そう「狭苦しい」の反対は「狭楽しい」なのです ・ ・ ・。
狭いからと言って広い住まいに移れば住宅費に追われ「生活が狭く」なる!これは大変と、郊外のそのまた郊外へ移って広い住まいに住めば、今度は通勤に時間を奪われ、家族や友人と会う時間がなく「世間が狭く」なる!だったら今の狭苦しい住まいを何とか工夫して広く住む!そう、苦を取り去って楽にし、さらに楽しくさせる!「狭楽しく住む」が私の設計手法です。

あれほどの資金をつぎ込み土地を購入して、さらに子育ての家を建てたのです。その子たちはあっと言う間に成長して既に家にはいません。もし居てもただ寄生しているような“行かず娘”と“独立しない息子”(失礼)です。それでも家族として家に居るとなんとなく安心する親たち?!。こうして子育ての家にそのまま住んで毎日を“送って”いる老夫婦も多いのです。冗談ではありません。一度だけしかない人生を、送ったり、過ごしては損です。
ここでもう一度元気を出して、アクティブに暮らすのです。まず住まいを思い切って整理しスッキリさせるのです。すると欲が出てきてそこにしゃれた家具や“一枚の絵”を飾りたくなるものです。これでいいのです。これが全てのスタートです。最初はアクセサリのショップで買ったような絵が次第に画廊で、ついにはオークションで手に入れるなど “アクティブ”になっていくのです。
暮らしに彩りをと、建築家の有志が集まり「絵のある住まい」という活動をしました。先年亡くなられた真鍋博先生をはじめ、絵を描かれる池坊保子さんなどをお招きし、「たった一枚の絵が部屋を活き活きさせ、友を呼び、幸せを呼ぶ」と言った運動ですが、その効果抜群で、今でも私は住まいのどこに絵を掛けるかを考えて設計しています。

来年もこのコラム頑張るつもりです どうぞよろしく よいお年を 
天野彰 拝
建築家 冥利(住まい編4)

「暮らし」と「住まい」を 考える!
家の消費税はあまりにも高い!

天 野 彰 (高14回)

私たちの基本的な生活政策でもっとも恥ずべきで、わが国の文化レベ ルと福祉思想の低さを露呈したものは、住宅と、医療施設そして老人などの福 祉施設に消費税をかけた事です!

迫 りくる“老いの国”のためになんら具体的な準備も無く、そればかりか今まで やってきたことの“付け”のつじつま合わせの政策ばかりしていることに気が 付くべきです。現実の住まいづくりのお手伝いをしているとこのことがよく分 かります。

ど なたもがこの先の生活に不安を抱いていながら、皮肉にも本来の「老後を助け てくれるはずの家づくり」に思い切った投資!ができないでいるのです。

も ともと今までの住宅政策そのものがビジョンの無い後追いばかりで、わずか 20年そこそこで建て替えの繰り返しとなり、ついには“不動産”であるべき住 宅に“消費税”まで課せられるようになってしまったのです。

そ んな消費財のような家を建ててしまった人が悪いのか、建てたときに高額な不 動産取得税を払い、営々と固定資産税を払い続け、さらに5%もの消費税を支 払う!! そんな矛盾に「変?」「おかしい?」などと言う人はだれもいないの です。それどころかあの消費税が3%から5%になったときに駆け込み着工し た人がどれほど多くいたことでしょう。

こ の消費税、これから7%にも、いや10%以上にもしたらなどと言う意見もある のです。その時もまた駆け込み着工するのでしょうか?

次回は「もっと住まいを楽しもう!−絵一枚で家が変わる」で す。



建築家 冥利(住まい編3)

天変地異に 対処!
2004年10月 ポンペイを見てわが非力を知る

天野 彰 (高14回)

41年前、建築家の卵として欧州貧乏旅行の 際立ち寄ったポンペイの発掘現場で大きなショックを受けたことを覚えていま す。それがなぜか今でも生々しく思い出されるのです。

リットンが書いたあの小説「ポンペイ最後の 日」で誰もが知っている火山の噴火による悲惨な災害による都市の滅亡の事実 です。記録によると1925年前の紀元79年8月24日。ベスビオス火山が突如大爆 発をおこし、大量の噴弾が降り、さらに噴火による火砕流と大量の火山灰で人 々は逃げる間もなくそのまま埋め尽くされたと言うのです。(実際にはのちの 研究にて、多くの人は避難したにもかかわらず、火山の噴火の恐ろしさを知ら ず、また奴隷など縛られていたため逃げ出せなかったなどの理由があったと言 うのですが・・・)

驚くべきは火山灰がいっきに5〜8メートルも 降り積もった為に当時の人々の生活や家そして街がすべてそのまま封印されて 残されたことです。既に発見されて260年以上になるのですが、その間あち こちから生々しい惨事の様子(それらしい空洞に石膏を流し入れるとそのまま 当時の苦しんで亡くなった人々や犬やロバの遺体などが再現される)と同時 に、当時の生々しい暮らしぶりがつぎつぎ発掘され、そこに訪れるとまるでタ イムトラベラーのような不思議な気分になるのです。

実際に私自身、放浪の旅でナポリに来たついで に「一度寄ってみよう」的な物見遊山でここに訪れた気がするのですが、その 後の人生もが変わるほどのショックを受けたのです。それはその悲惨さはさる ことながら、まさしく歴史的なカルチャーショックと言うか、なんと1900年以 上も昔に、今とほとんど変わらないくらいの高い文化と豊かな暮らしがあった ことを目の当たりにしたことです。

今よりうんと近代的とも思える都市と建築や住 宅、そしてインテリア!さえもあって、無いのは電気と電話だけ!なのです。 しかもその中で今も変わらぬ人間の信仰と快楽の葛藤など、あちらの部屋から その街角から当時の人間たち声が聞こえて来そうな気さえしたのです。

本当にこの2000年もの間、私たちはいったい何 をやって来たのでしょうか?二十一歳だった私はどうしょうもなく戸惑ったの です。そして今も、何年もの長きに渡って避難生活を余儀なくされている三宅 島の人たちがやっと故郷に帰れるという・・・。さらにこののちもどれほどの 無念さと、不自由な生活をされるか想像もできません。

最近も関東地方や東南海に大きな地震があり、 浅間山が噴火するなど不穏な空気が漂っています。が、災害はいつやってきて も不思議ではありません。問題はその心構えができているかどうかです。

次回は家の消費税はあ まりにも高い!をお話します。


建築家冥利(住まい編2)

日本の家は「傘の家」?!
   「欧州はなぜ壁の家?家は命!」

天 野 彰 (高14回)

  この十数年ヨーロッパの経済は低迷したままで、彼らの生活は見かけとは裏腹 に楽とはいえません。特に旧ソビエト崩壊後のロシアなどは社会主義時代に増 して国民の生活は苦しいもので、物や食べ物を購入しようとしても物がない! などというインフレがずっと続いてきたのです。
 そんな時でもその見かけの暮し向きは、わが国に比べずっと豊かで よく見えるのです。その原因があの伝統的な住まいにあることはすぐに分かり ます。しかも街並みもそろって綺麗です!
家の壁はレンガで積まれ分厚く重厚です!それが当たり前なのです。 ずっと南に下がって南欧にきても開放的な人柄や住まい方は変わってもその家 並みの様子は変わりません。そして彼らが南方や新大陸に渡って築いた植民地 時代の家や家並みも同じです。
 答えは文化です!彼らが長年に渡って築いてきた都市に住む文化な のです。それも必要に迫られたものばかりです。家をちゃんとすることは城壁 の中に住む市民の使命であり、また時の統治者の義務でもあったわけです。い つ侵略されるか分からない地続きの大陸にある家はいわば「命」そのものなの です。しかも比較的緯度の高いところに発展したヨーロッパの都市は厳冬で、 分厚い「壁の家」でないと凍えて死にます。城外の郊外の住まいにおいては敵 が攻めて来たら一番に占領され略奪されてしまいます。
 そして何より街並みが統一して美しくないのは時の統治者である王 の恥だったのです。それは分厚い石やレンガの壁に限ります。だから何百年も 持って、今も人々は安心して住めるのです。まさしく国や市民の財産なので す。
 一方わが国の家は城壁の中にはなく、しかも寒さよりも雨露の湿気 に対する家の形となり、敵からは家を捨て裏山に逃げ、柱と屋根だけの風がと おる「傘の家」の形となり、京のような都市の家にしても隣との隔壁は壁にし ても蔵以外は基本は壁のない「傘の家」なのです。
 「傘の家」は壁がありませんから柱と屋根組みが重要です。ここに 複雑で強靭な木組みと美しい屋根の文化が発展するのです。それは千年にもお よぶわが国の家の形なのです。
 ここに突如異文化の「壁の家」が入り込んで来て、“高気密高断 熱”の「壁の家」に変えてしまったら、私たちの「傘の家」文化のDNAはい ったいどこへ行ってしまうのでしょう。またこれは統一感のない貧相な街並み となります。
                             (2 004年8月)

次回は「天変地異に対処」“ポンペイを見て 思う”です。

建築家 冥利(住まい編1)

家づくりは人生の勉強!

天 野 彰 (高14回)

  夫に先立たれ、今は一人暮らしの建て主の奥さんからお手紙を頂きました。私 どものお手伝いで17年ほど前に新築され、ご本人はもうすぐ75歳になられる という。
今はとなりに空けておいた敷地に予定どおり?ご子息家族が家を建て られ、まさに離れ(と言うか母屋というべきか)での悠々自適の暮らしとのこ と。建て替えの時に設えた和室で今も何人かの人にお茶の指導をされていると か・・・。
 お手紙を拝読しながらいろいろなことが思い出されました。亡くな られたご主人の、黙って奥様のお話しを目を細めて聞く姿や、一度だけ「二世 帯住宅」に建て替えるかどうかで意見が分かれたときの議論などです。
 今の家をすっかり建て替え、将来二世帯住宅になるような家にすべ きか、あるいは今の限られた敷地のなかでいずれ結婚するであろう息子たちの 家を建てるスペースを空けて建てるべきか、等など喧々諤々とやったのです。
 結局旧住まいの一部を壊し、そこに自分たちの終の棲家を建て直し 一部を残しておき後は家が建った時に残りを壊すか否かを考える、といった柔 軟姿勢でいく事になったのです。
 今思えばこれは正解で、ご子息も"親に二世帯住宅を建てられ る"といったプレッシャーもなく、自然に親のとなりに自力で建てること になったという。その後ご子息は単身で転勤先に赴任することとなり、同じ敷 地に母と孫と嫁が住むという、おかげで?お互いが安心できる"丁度いい 住まい"になったという・・・。
 なんと!あの時のご主人の主張の答えが今出たのです。今ごろあの 世で、「してやったり!」と言うご主人の顔が目に浮かびます。
 こうした御家族が全国に世代ごとに沢山いらして夫婦や親子、その 家族のなりゆき、そして人生!を、私は家づくりをとおしてとてもよい勉強を させていただいているのです。まさに建て主が人生の先生なのです。

(あまのあきら)

〔参考図書〕
著書名:講談社+α新書
新しい二世帯「同居」住宅のつくり方
著者:天野 彰 
出版社:講談社
定価:920円(税込)

次回は「壁の家傘の家」を予定しています。      


〔天野彰さんのプロフィール〕
1943年愛知県岡崎市に生まれる。
日本大学理工学部経営工学建築科を卒業。
大阪万博で「生活産業館」のプロデュースを始め、建築家集団「日本住改善委 員会」を組織し、生活に密着した住まいづくりや、リフォームまでを手がけ る。「住まいと建築の健康と安全を考える会」を発足、テレビや講演、新聞、雑 誌など広く活動している。
通産省産業構造審議委員会
厚生労働省、大規模災害救助研究会委員などを歴任するなどその活動 は幅広い。
アトリエ4A(http://www.a4a.co.jp/)代表。

〔寄稿〕
最近では、「asahi.com」に「天野彰のいい家いい家族」を連載され ています。
asahi.comのURLは、http://www.asahi.com/housing/

〔書籍〕
多数の書籍を出版されています。
詳細は、アトリエ4AのHome Page(http://www.a4a.co.jp/)の「Books」の ボタンを押して下さい。