では、あなたの“終の棲家”はどんな家がいい?
家相や寝室のアンケート調査で「一戸建てを建てるとしたら……」と、家の構造の好みをきいてみました。すると、回答者がさほど多くない調査の母数で、しかも若い人が比較的多いことにも関わらず、グラフのように木造が72%と圧倒的に多いことに驚かされました。そしてS造(注1)すなわち鉄骨造が14%、さらにRC造(注2)いわゆる鉄筋コンクリート造が9%と少ないのです。
(注1)S造=Steel frame (スティール・フレーム)で鉄骨造。
(注2)RC造=Reinforced Concrete(レインフォースド・コンクリート)で鉄筋コンクリート造。鉄筋で補強されたコンクリートです。ちなみに鉄筋はReinforcing steel barです。ついでに高層マンションなどよく使われるSRC造は、この鉄骨Sを骨にさらに鉄筋コンクリートRCで固める構造と言うことです。
やはりここでも木の住まいの願望が強いことがはっきりしました。木造すなわち和の志向の家とは一概には言えないまでも、それがまた寝室の和の空間の志向ともなるのかも知れません。確かにこのほのかな木造の願望は実際の家を建てるにあたって、いよいよ骨組みが上がる際にはっきりします。いわゆる上棟(じょうとう)です。まだ骨だけの木造の軸組みを見て、多くの建て主が本当に涙するほどに感動なさるのです。まさしく建築の醍醐味とわが家を支える柱や太い梁を現実に目の当たりになさるからでしょう。そんなご主人を横から見て、奥さんもまためったに見せない夫の感動の姿に大いに感激なさるといいます。
心の奥底では床柱や違い棚などの床の間のある座敷にあこがれ、仕上げ材はビニール製やプラスティックではなく、多少板目がそろわなくとも、あるいはフシだらけでも本物の板張りや土の壁など自然素材を求めているのです。
すでに60年以上も経ってもはや戦後とは言えませんが、あの焼け跡の過酷な復興と経済の高度成長に没頭し、われを、わが家を忘れていた私たちが今やっと住むべき本来の家とはなにか、を考える時代となったのです。私のコラムのタイトルもそうで、恐縮ですが、人から“いい家”はこうだああだと押し付けられるものでもなく、それぞれがその好みや生き方に合った家や、家族に合った間取りを求める時機となったのです。
焼け跡に生まれ、焼け跡で育った多くの人たちが、世界をそして時代を駆け抜け、働き詰めに働き続けて、今、定年を向かえようとしています。すでに子どもたちは成長し出て行って夫婦2人だけの家となっています。そして夫婦でいたわり合う老いの生活に至ろうとしています。この間にどちらかがけがをしたり、病に陥りでもしたら大変です。そのときはじめて今まで気が付かなかった住まいの不備が見えてくるのです。
その不備こそ“いい家”どころか地震にも危うく、健康にも良くない家でさらに大人の感性にもそぐわない家なのかもしれません。モダンデザインで機能的で設備も良くはなっていますが、その感性は、あるいはその持ちはどうでしょう。これから老いて行く夫婦2人の生活はどうなのでしょう。
最近よく「終の棲家」だ「終の住まい」と言われます。「終」とはまさしく人生最後の家を言うのでしょうが、私の解釈はちょっと違います。確かにいずれは「終の棲家」になるのでしょうが、それに至るまでの、ながーい生活をいかにキープできる家かと言うことが大切です。
そうです。老後は一つではないのです。最初は元気でかっ達な「老前」があって、いずれちょっと不自由になってはじめて「老中」があり、そしていよいよ自立できなくなってはじめて「老後」と言うべきなのです。
ならばいかに「老前」を長くするかと言うことですが、このことを考えた時点ですでに「老前」は始まっているのです。そこで一念発起、定年を控えて思い切って、今の住まいを建て替えてみてはどうでしょう。そう、あえてこれからの人生を住んで行く家をつくるのです。それも今の家を生半可にリフォームするよりも、今までの家や子どもたちのことを頭からすっかり払拭して、費用負担をしたくなければ半分の土地を処分して予算をゼロにしたり、少し頑張って人に貸したりすることなどが可能です。その反対に、今までマンション住まいの人は下町にでも小さな土地を探して地に生えた家を建ててみるのです。
いまさらこの歳でなどとお思いでしょうが……どっこいこれが楽しく、また活力が沸き、若返るのです。まさしく大人になってはじめて建築の醍醐味を味わうのです。若い頃頭の中で描いた「終の棲家」は海が見える所だったり、別荘地だったりと、よく聞きますが、本当の老いの生活に必要なのはそんな空想の自然よりも「人」です。人との交流や人が来やすいところが楽しく、しかも病院やスーパーや駅が近いところが現実的で安心です。
多くの「終の棲家」のお手伝いしてきた私自身が最近そう思うようになってきました。すでに私も「老前」となっていました。
|