まずは時事的な話題から
オバマ氏を大統領に選んだアメリカ合衆国国民に大拍手、フランスからも心から祝辞を送ります!
今までU.S.Aが大嫌いだった私も、これで少しは好きになれるかもしれません。フランスに住んでいる私にとっても、いや、世界中の人々にとってアメリカ合衆国の大統領が誰か?というのは大問題です。ここ数年間、巨大な軍事力と経済力を背景にカウボーイ・ブッシュの好き勝手な振る舞いに、合衆国国民だけでなく世界中の人々が大迷惑を受けてきたのです。フランスの世論調査ではフランス人の86%の人々がオバマ新大統領を歓迎しています。
11月5日早朝(USAでは4日深夜)、フランスのテレビでもシカゴで勝利演説するオバマ氏の映像が生中継されていました。早速シカゴに住んでいる日本人友人に祝電eメールを送ったら、
「矢吹さーん お祝いのeメールありがとう。
そうです、そうです、アメリカだけでなく世界各国が共同に祝う日でした。長く辛抱して待っていた日がついに訪れ、私たちはとっても感激と希望であふれています。昨晩グラントパークでのオバマのラリーに参加して、オバマのスピーチを聞きに行きました。沢山の人々が涙を流してこの偉大な歴史の新しい始まりを喜んだのです。
家に帰ってきたのは朝2時半でした。
オバマはアメリカだけでなく世界を結合させる大統領になると思います。」
、、、と翌日返事が来ました。
本当に世界が変わって欲しいと、誰もが願っています。
フロンティア精神
アメリカ合衆国は巨大な国です。国土の広さにしても異常です。4年前、Bamboo Orchestra Japanのコンサート・ツアーの助っ人でノースダコタ(North Dakota)という、カナダと国境を接する合衆国中北部の州を訪れた事があります。この州には観光客がおもしろがる様な名所などは全く無いので、外国人、いや合衆国に住んでいるアメリカ人だってめったに行かない場所です。
私が訪れたのは三月。昼間でも気温は零度前後、夜にはマイナス15度にまで下がるまだまだ冬の時期でした。風景は見渡す限り真っ平ら、何もありません。夏の時期には一面トウモロコシや麦畑なのでしょうが、ただ茶色に枯れ果てた平原が地平線まで続くだけ。四方を見渡しても起伏が全く無いのです。その中にアスファルトの道路が南北に一直線。この州も、もちろん共和党ブッシュ政権を支えてきた地域でした。その時思いを馳せたのは、子供の頃に見聞きした賛美されたアメリカと、現実としての『アメリカ開拓史』の落差についてでした。
戦後すぐの時期に生まれ育った私たちの世代にとって、アメリカの文化と発展の歴史は手本とすべきものの代表格でした。小学生の頃テレビが家庭にも普及し始め、大相撲中継やNHKのど自慢と共に子供達をテレビに釘付けにしたのは、アメリカ製テレビドラマでした。『ララミー牧場』や『名犬リンチンチン』では開拓者の勇気と正義、そして『うちのママは世界一』、『パパは何でも知っている』、『名犬ラッシー』などの家庭ドラマからは、アメリカ社会の豊かさを見せつけられました。アメリカの子供達には一人一人立派な子供部屋が与えられ、広いキッチンの隅にある巨大な冷蔵庫にはいつも大きな瓶に入った牛乳がある、、、物にあふれたアメリカの豊かな家庭生活。私たちは、これらモノクロ画面のテレビドラマを食い入る様に見て育ちました。勇気と正義、自由と博愛、家族愛、動物との交流など、そこに描かれているヒューマニズムは良い事ずくめで、そんな社会を築き上げたアメリカ人は日本人にとって模範であり、アメリカの開拓精神、建国精神は賞賛すべきものとして、当時幼かった私の脳裏に焼き付いたのでした。
しかし歴史的現実は全く違っていたのです。
19世紀初頭、現在の南部ルイジアナ州から北はノースダコタ、モンタナ州までの北米中部の広大な土地をフランスから格安で買収すると、今までそこに住んでいた原住民、アメリカインディアン達を駆逐しながら西へ西へと侵略を続け、ついにはカリフォルニア、オレゴンの西海岸まで辿り着き、北米大陸の東から西までをアメリカ合衆国領土としたのです。アメリカ合衆国建国の歴史とは、客観的に考えれば、所有者のはっきりしていなかった広大な土地に乗り込んで行って、早い者勝ちとばかりに奪い合い自分のものだと主張していった歴史なのです。そんなあまりにも自分勝手な行為を「フロンティア精神」として賞賛し、私たち日本の戦後世代の子供達までも、アメリカ文化はすばらしいもの、、、と教えられたのでした。
ブッシュ政権を支えてきたのは、未だにその侵略的行為を善と考えているアメリカ人達です。テキサス州を強奪したスペイン戦争、ハワイの併合、アラスカの併合、そしてベトナム戦争もイラク戦争も彼らにとっては常に正義なのです。
アメリカインディアン
さて、ノースダコタ州都ジェイムスタウン(Jamestown)に着いたその夜、主催者ははるばる日本からやってきた演奏家達一行を歓迎するレセプションを開いてくれました。市長自ら、市の紋章である白いバッファローのバッジを一人一人メンバーに手渡し歓待してくれました。レセプション終了間際、たまたまテーブルの前の席に座っていたオルガナイザーのテイラー女史が、『何かこの街で特別にしたい事はありますか?』と私に振ってくれたので、無理だろうとは思いながら『インディアンに会うことは出来ないだろうか?』とたずねた。ノースダコタ州近辺はもともとスー族(Sioux)の居留地でしたが、地図で見る現在のインディアン保護区は街からは何百キロメートルも離れていて、とても仕事を抜け出して会いに行くわけにもいかなかった。ところが驚いた事に「それは簡単!丁度インディアンの音楽家を街の大学に招いて講義してもらっているところだから、明日にも会わせてあげる、、、」と彼女は言うのでした。翌日、仕事を終え大学に出掛けてゆくと、壇上には真っ赤なインディアンの装束をまとい、頭には羽飾りを付け、胸板の厚い堂々とした体躯の本物のインディアンが、大学生十数人を相手にインディアンの歴史、哲学、文化を講義しているところだった。
彼の名前はキース・ベア(Keith BEAR)。インディアン・フルートを吹く音楽家でCDを何枚も出している著名人だが、物腰は柔らかく気さくな男で、彼との出会いはとても印象深いものだった。開口一番、私は「あなた方を一般にアメリカインディアンと総称しているけれど、私もそう呼んで構わないだろうか?」と質問した。なぜならインディアンとはインド人という意味であり、15世紀にインドを目指したコロンブス以来の間違った呼称だからだ。
彼はちょっと首を傾げてニヤッとしてから「皆がそう呼んでいるから別に構わないさ」と、気にはしていない様子だった。また、私はわざと「インディアンというと西部劇では駅馬車を襲う悪役にされてしまっているけれど、、、」と質問して、彼から憤慨した答えが返ってくるのを期待したら、
「あれはお笑い草さ。映画の中ではアワワワとか鬨の声を発するだろう? あれはね、インディアンの女性しかやらない風習なんだよ。だから駅馬車を襲撃するインディアンはみんなオカマなのさ」と、したたかにかわされた。
そして 「私の家族は、元ミズリー川流域の肥沃な土地に住んでいたのだが、ダムの建設で村は川底に沈んでしまい、代わりにインディアン保護区として与えられた高台の土地は痩せていて穀物は良くは実らないし、生活が困難なんだ、、、」とこぼした。彼は我々のコンサート会場にも現れ、とても興味深げにBamboo Orchestraの創作竹楽器群に触れ、各楽器の音色のヴァリエーションに驚嘆していた。
ともあれ、アメリカインディアンが竹楽器を演奏したのはこれが世界で最初だっただろう。
さて話を現代に戻せば、、、今年いっぱいで辞めるブッシュ大統領はテキサス州出身。テキサスには有名なアラモの砦の悲劇譚がある。元々メキシコ領土だったテキサス地域に侵攻してきたアメリカ白人勢力を食い止める為に、メキシコ側が砦を攻撃したに過ぎない。しかしアメリカ側は「やられたからやり返せ」と、これを口実にしてテキサスを奪い取りアメリカ合衆国の一つの州としてしまったのである。だから、そんな土地で育った正にカウボーイ、ジョージ・W・ブッシュの考え方も判るというものだ。
ところで、ブッシュ政権下の国務長官コリン・パウエル(Colin Powell)やコンドリーザ・ライス(Condoleezza Rice)も黒人系だったわけで、今回のオバマ氏が黒人系だというだけで過剰な期待をしてしまうわけにはいかないだろう。(これはもちろん冗談)しかし、つい数十年前、20世紀中頃までアメリカ合衆国では人種差別が公然と行われていたのだから、オバマ大統領誕生は21世紀初頭を飾る偉大なる出来事と言って過言では無いでしょう。
来日公演
さて,話は変わって、、、先月10月は、何と日本にコンサートツアーに行っていました。公演地は福岡、東京、京都、富士の4カ所。私にとっては帰国公演ですが、グループの打楽器奏者達4人はフランス人ですし 「Bamboo Orchestra de Marseille」はフランスの演奏グループですから『来日公演』と言っても差し支えないのです!
この言葉には実に不思議な響きがあります。来日とは「日本に来る」事であり「来日公演」は「日本に来て公演」する事にしか過ぎなのに、この言葉には実に過大なイメージが付加されています。普段は見る事も出来ない西欧のあこがれのスター、グループがはるばる日本にやってきて公演する、、、というイメージ。そして、裏では大手の商業的音楽プロモーター(呼び屋)が公演日程を一括してお膳立てをしているのです。
しかし我々の場合はメディアに乗った有名グループでもないし、プロモーターも居ないという、全く違った条件下の「来日公演」でした。各地では、それぞれ個別の主催者が自治体などから少しばかりの助成金を得、あとは有志の人達が労力を惜しまず手弁当で協力し準備し受け入れてくれたのです。ですからぎりぎりの経費とわずかなギャラ。仏日間の飛行機移動も当然エコノミー席。(、、、実は私は椎間板ヘルニアなので、長時間エコノミー席での飛行機の旅は辛いものがあります。今回も最初の公演地九州福岡で痛みが始まり、各地で整骨院や鍼治療に駆け込み何とか持ちこたえ、無事に公演をこなす事が出来ましたが、、、)
そして、Bamboo Orchestraの主役である竹楽器群も経費節約のため一切フランスから運搬せず、各地元で揃えてもらう段取りにしました。私たちは小さな手持ちの楽器とバチ類を各自のトランクに分散して入れ、演奏者5人と手荷物だけの移動という、その意味では軽装な旅公演でした。
私たちがコンサートで使う竹楽器群は重さ約750kg。解体して箱に詰めても1m四方の箱4個にもなり、その往復輸送だけで百万円近くもの経費が掛かってしまいます。Bamboo Orchestraの竹創作楽器群はきわめて特殊なものですから、楽器店で購入したり借用できる類いのものではありません。しかし都合が良い事に、Bamboo Orchestraというのは一つの音楽運動で、日本各地のアマチュアのバンブー・オーケストラは私が創作した竹楽器群を見本として楽器作りをしていますから、各グループもほぼ同じ形式の楽器を製作し使っているのです。
竹の産地である日本で公演するのに、わざわざフランスで作った竹楽器を運んでくるというのもばからしい話ですし、それだけでなく、我々フランスチームが彼ら日本のグループの楽器を借りて演奏する事で、楽器改良への新たなアドバイスも直接出来るというメリットもあるのです。このフランス便りを読んで頂いてる向きには既にご理解いただけていると思いますが、「Bamboo Orchestra」という言葉は竹楽器演奏グループの名称というだけではありません。「山から竹を切り出し、その竹材を使って自分たちで楽器を作り演奏する。そこには世代を越えて子供もおじいちゃんも参加している」、、、竹という自然の素材を使って気軽に音楽を奏で、人間関係をより豊かなものにしようとする音楽の運動の云いでもあるです。
例えば、誰かが音楽を楽しもうと考えたとします。 おそらく大多数の人はプロの演奏家あるいは歌手のコンサートに足を運ぶか、CDを買って聴くか、最近ではインターネットからダウンロードしてiPodで聴くというのが一般的でしょうか。また、聴くだけでは飽き足らず自ら演奏しようとする人は、高いお金を出して楽器店で既成の楽器を購入して一生懸命に練習するでしょう。
優れた演奏家達と音楽産業が音楽を提供し、一般の人々は音楽を商品として受け取り消費する、、、という、音楽を巡る人間関係も資本主義の消費経済的関係に取り込まれ、われわれはそのシステムに慣れっこになってしまっています。音楽とは本来そんな資本経済的な関係とは別のところにあったのではないだろうか?もっと豊かな人間関係の発露として、音楽を楽しみ共有することが出来ないだろうか?そんな疑問を持った人達が、日本各地で市民バンブーオーケストラを創設しているのです。山里に幾らでも生えている竹を使って楽器を作り音楽をする。竹は草の仲間ですからある程度伐採しても自然破壊にはならず、きわめてエコロジーな植物だという利点も同時にあるのです。
福岡
初日は九州福岡市郊外の那珂川町。ここに小学生の子供達を含めて30人程のメンバーが参集している「バンブーオーケストラ那珂川」というアマチュア市民グループがあり、彼らが中心になって全国の市民バンブーオーケストラに声をかけ、「竹の里フェスタ」を開催しています。今年は3回目。遠くは福島県からも「うつくしまバンブーオーケストラ」8人のメンバーが駆けつけていました。 全国に20程あるアマチュア市民バンブーオーケストラに中では、今のところこのグループが北限です。日本の中でも北に行く程、寒い地帯になるほど竹は生育しにくくなります。東北青森にも竹はありますが、竹打楽器作りで重要な孟宗竹は生えていない。そして北海道には竹はほとんど無く、笹類だけである。
日程は10月11、12日の2日間。那珂川ミリカローデン町民ホールの中庭に竹灯籠を無数に並べて火を点し、その揺れる灯りを背景にして前夜祭。そして翌日は私の講演会とマルセイユのフランス人打楽器奏者達も参加して各楽器に分かれたワークショップ。そして最終日は、前半各アマチュアグループのコンサート、後半は我々マルセイユBamboo Orchestraのコンサート、そして最後は聴衆も巻き込んだ参加者全員の大合奏で締めくくりました。
今回私たちが日本で演奏したコンサートは、7月にパリで初演した新しい作品”Un jour ils ont rencontre un bambou...”(ある日,彼らは竹に出会った、、、) 普段の様に冒頭から舞台いっぱいに竹楽器を配置して演奏を始めるのではなく、この作品では舞台上にはただ切ったままの数本の竹材が転がっているだけ。その変哲も無い竹片や竹筒を叩くシンプルな音の組み合わせから音楽が始まり、後半では「竹マリンバ」などの鍵盤竹打楽器群が登場し、より豊かで複雑な曲構成になってゆきます。
如何にして単なる竹片、竹筒から音を紡ぎだすか?そしてその竹が奏でる音色が組み合わさって音楽として昇華する瞬間の神秘性。つまり、私が25年間絶え間なく続けてきた音を探求する作業、竹から様々な音色を引き出す行為、ひいては「Bamboo Orchestraの音楽哲学」をそのまま舞台上に視覚化した作品とも言えるのです。
東京
地理的に考えれば、福岡の次に京都に寄った方が効率的に決まっていますが、そうもいかなかったのです。10月13日の祝日「体育の日」にあわせて、東京新宿西口都庁前の都民広場で竹楽器のイヴェントがあり、12日福岡で「竹の里フェスタ」を終えるとすぐその日の夕刻には飛行機で羽田に移動しました。 イヴェントは「リズム&ミュージックTOKYO KIDS」というタイトルで、竹楽器を製作して演奏する子供達が主役、我々プロの演奏家達はそれを補佐するという役割である。
この企画は、2016年オリンピックを東京に招致できたら、その開会式には何千人、あるいは何万人もの子供達の竹楽器演奏で開幕しようというプロジェクトなのだ。そしてこの日はその第一段階としてのイヴェント。9月から楽器作りワークショップに参加し、自分たちで作った楽器を手にした400人あまりの子供達の周りには、各地の和太鼓グループ、韓国や沖縄のグループ、そして鬼太鼓座、ジャズサックスの梅津和時さん等、そして我々マルセイユBamboo Orchestra、、、と総勢7〜800人ぐらいの演奏人に、その周りを数千人の観客が囲み広場を埋め尽くした。
もちろん、東京にオリンピックが招致できなかったらこの膨大な企画の半分は意味が無くなってしまうのだけれど、もしそれが実現しなかったとしても、東京という巨大な都市に、マルセイユで私が実施している様な竹楽器を演奏する子供達のグループを創設しようという動きが底辺にはあるので、私はどちらに転んだとしても多いに協力するつもりなのだ。
都民広場には、この段戸会HPの繋がりで高校時代の同級生、同窓生数人が馳せ参じてれました。同級生といえども40年という年月を経ては顔を見てもすぐには思い出せずに戸惑う場面もありましたが、このフランス通信を連載している意義が少しはあるのだと思うとうれしい限りでした。
京都
京都は、当初今回のツアー候補地には入っていませんでした。「経費だけならどうにか捻出できそうだ、、、」という主催者が現れ、その志をかって全くギャラ無し公演を引き受けたのです。京都は竹文化の中心ですから公演地としては重要ですけれど、 公演決行の引き金になったのは、実は京都のフランス学校(在日フランス人子弟の為の学校)でした。
関西フランス学校校長に昨年9月から赴任したクリスチャン・レイ氏。彼との繋がりは、昨年春フランス北西部ブルターニュ地方の中心ナント市で、私が竹楽器のワークショップを実施した事に始まります。当時、偶然彼は私が指導した小学校の校長で、竹楽器の教育効果に魅せられ「秋から京都のフランス人学校の校長として赴任する事になったのだけれど、ぜひ京都の学校でも竹楽器の授業をしてくれないだろうか、、、」と私に持ちかけたのだった。私は教育的竹音楽の日本への逆輸入、それも日本にあるフランス人学校を通じて、そして竹文化の中心である京都という場所、、、私は一も二もなく賛同したのだった。
私は日本の学校教育の中でも、竹楽器、竹音楽をぜひ取り入れて欲しいと願っている。フランスでは簡単にできる事が、残念な事に竹がどこにでも生えている日本では逆に難しいのだ。
かつて私がまだ日本で活動していた頃、確か1990年代初頭だっただろう。文部省の教育方針が変更され、「音楽教育も今までの様に西欧音楽一辺倒ではなく、日本の伝統音楽や民族音楽を取り入れなさい」という通達があった。しかし現場にいる音楽の先生の多くは西洋音楽しか勉強してきていないから、急に文部省の上の方からそんな通達が出ても、何をしていいか判らない。日本の伝統音楽も民族音楽も全く知らないのだ。そんな先生達に何が教えられるだろうか?
ある中学の音楽の先生が私のところに電話をかけてきた。彼女は「モデル授業実施を引き受けてしまったけれど、どうして良いか判らないから助けてくれ」と言うのだ。そこで私はクラスに竹を持ち込み生徒達に楽器を作らせ合奏するという授業を行った。しかし20年近く前のその当時、私の様な音楽教師の免許も持っていない者が学内で授業をするというのは、特殊な事態だったのだ。
フランスでは、私が学内で授業をするのに全く抵抗はない。フランス語も流暢には話せず、フランス国籍もなく、教師の免許も持っていない私を学校に招き、それに対してフランスの教育省は助成金を交付する。担任教師、音楽の先生、校長など現場の先生達が意義あると認めれば実現するのである。
だから今回の京都の件も、日本の学校教育の中に竹音楽を普及させる為の足がかりになれば面白いと踏んだのである。しかしフランス学校には事情もあり、一年経過してもなかなか実際にワークショップを実現させる機会、資金を見つける事が出来なかったらしく、京都に赴任したクリスチャンからは、その後積極的な要請は無くなってしまったのだった。そこで、今回Bamboo Orchestraがせっかく日本に行くのだから、京都でも公演をしてそれが何らかの刺激になればと画策したのだ。
公演当日の午後、時間を縫ってフランス学校を訪れ、フランス人の生徒達7〜80人の前で演奏を披露し交流した。そしてクリスチャン夫妻だけでなく、生徒達の何人かも親を伴ってコンサートを聴きに来てくれた。
京都には昔から竹文化があり、例えば茶の湯で使う茶筅や茶杓も竹製である。京都は竹の産地で、嵯峨野や洛西には大きな竹林がある。しかしなぜ京都に竹林があるのか、なぜ京都に竹文化が集中したのか、、、というのはあまり知られていない。
ある学者の説を披露すれば、、、飛鳥時代から平安時代初期の頃に南九州に住んでいた隼人族たちというのは、島伝いに南方からやってきたマレー系民族で、彼らは独特の竹文化を持っていた。その彼らが大和族に平定されて捕虜となり、平安京(京都)周辺に移住させられ竹細工などに従事させられた。その文化がいずれは茶の湯の武家文化にもつながってゆくという話なのだ。そしてこの京都には、日本の竹文化を代表し世界に紹介する窓口になっている「日本竹文化振興協会」本部がある。だから京都でBamboo Orchestraが公演する事は、東京で公演するのとはまた違った意味合いがあったのである。
京都「リサーチパーク・アトリウム」でのコンサートでは、伏見工業高校の生徒達も自分たちで竹楽器を作り特別参加した。この生徒達から後に送られてきた感想文には、「竹楽器でこんな様々な音が出る事に驚いた!自分たちで楽器が作れ演奏できる楽しさを体験した!」といったものが多い。竹林のすぐ近くに住み、竹文化の中心に居ても、竹の可能性はまだまだ知られていない。だから、我々のコンサートが子供達だけでなく京都の一般聴衆にも刺激になった事は確かだ。竹文化振興協会もこのコンサートに助成し、役員の何人かも会場に聴きに来てくれたから、これから京都でも少しは何かが始まるだろうと期待している。
最後に富士市でのコンサート
富士市は和太鼓グループ鬼太鼓座の本拠地である。今年2008年初旬、鬼太鼓座ヨーロッパツアー、バルカン半島とイタリー公演に単身ゲスト参加した話は既に書いたけれど、今回は、富士市ロゼシアターでの劇場公演と、富士芸術村での野外公演で、鬼太鼓座とBamboo Orchestraが本格的に共演した。 今後、鬼太鼓座には竹楽器を取り入れる意図があり、我々の方も既に和太鼓と竹楽器のアンサンブルの曲が幾つもあるので、このコラボレーションは双方にとってもなかなか意義があった。
私はかねてからうちのメンバーのフランス人打楽器奏者達に、普通のパーカッションと和太鼓演奏の違いについて説明してきた。なぜならコンセルヴァトワールで習う西洋音楽の打楽器奏法、あるいはドラムやコンガなどのポップス系の打楽器演奏にしても、手首とバチの動きだけで事足りる。後は細かいリズムの技術的な問題やノリを論じるだけだ。一方和太鼓は、まず体全体を使ってバチを太鼓面に打ち込まなければ楽器が鳴ってくれない。それに、長時間太鼓を叩き続ける為には体力だけでなく精神力も問われる。同じ打楽器演奏とはいえ考え方、演奏方法にはかなりの開きがある。それは幾ら言葉で説明しても理解できるものではない。
うちのメンバー達は、鬼太鼓座の演奏を舞台袖で直に目撃した事によりかなりの衝撃を受けた事は事実だ。もちろん彼らに、鬼太鼓座の様に太鼓を叩いて欲しいと要求するつもりは無い。しかしテクニックだけを云々する普通の打楽器演奏とは全く違った発想の打楽器演奏が存在するという事を、実際に目の前で見て実感しただけでも大きな進歩だと言える。
という具合で、今回のマルセイユBamboo Orchestraの来日公演は、一つのプロモーターが商業的にオーガナイズしてくれるものとは違い、事前準備も条件も決して楽な旅ではなかったけれど、各地の連携がスムーズに行きコンサートはいずれの地でも大成功をおさめた。
ともかく、私がフランスで続けているBamboo Orchestraの音楽が、日本でも拍手喝采で受け入れられたこと、日本の聴衆に竹楽器の新しい可能性を提示できた事をうれしく思う。また我々の舞台に刺激されて、各地のアマチュアグループも創造的な意味でレベルアップしてくれる事を期待している。
「Bamboo Orchestra」は、プロ・アマの違い、音楽的技術の多寡を越えた地点で、今までの音楽とは全く違ったアプローチが出来る事に意義があると私は考えるのです。竹楽器でしか出来ない音楽を作り出す事、竹楽器でしかあり得ない舞台を作る事、竹楽器だからこそ可能な音楽を通じた人間関係、自然と人間の関係、、、「Bamboo Orchestra」を言い出した創始者としての私は、常にみんなの一歩、あるいは半歩は先を歩いて問題提起し続けるのが使命だと考えているのです。
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